第2章: 広島の復興から平和への歩み 【永久保存版】

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nariです🙋

1945年(昭和20年) 8月6日、広島は世界で初めて原子爆弾の被害を受けました。この未曾有(みぞう「これまで一度たりとも起きなかったような、極めて稀な事態)の惨事から立ち上がり、広島は復興への道を歩み始めました。瓦礫(がれき)の中から新たな希望を見い出し、広島の人々は平和への強い願いを胸に、街を再建していきました。第2章では、広島の復興の過程と、平和への歩みを詳しく見ていきます。

第1節 被爆直後の広島

1945年(昭和20年) 8月6日 午前8時15分、広島に投下された一発の原子爆弾は、一瞬にして街を焦土(しょうど:焼けて黒くなった土)と化しました。爆心地近くにいた人々は即死し、生き残った人々も重度の火傷や放射線障害に苦しみました。爆発の瞬間、強烈な熱線と放射線が四方へ放射されるとともに、周囲の空気が膨張して超高圧の爆風となり、これらが複雑に作用して大きな被害をもたらしました。

被爆直後の広島は、建物や交通施設、通信施設、上下水道などの都市インフラが徹底的に破壊されました。広島市内の防空体制は壊滅的な打撃を受けましたが、救援体制はすぐに機能し始めました。被爆当日の午後3時までに乾パン12万食が配給され、比治山多聞院に救護所が開設されました。

第2節 初期の復興努力

被爆直後から広島市民は復興に立ち上がりました。

1945年(昭和20年) 8月8日(被爆2日後):山陽本線国鉄) 広島駅と横川駅間の運転を再開

1945(昭和20年) 年8月9日(被爆3日後):一部路面電車区間の運転再開

1945年(昭和20年) 8月10日(被爆4日後  :上水道の送水ポンプの稼働再開

再開後も水道管の補修は難工事であり,市周辺部にまで給水ができる状態に復旧するまでに9か月を要したが、徐々にではありますが都市機能が回復していきました。

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広島市の復興計画は、市の復興審議会や新聞紙上などで多くの復興構想が提案されました。幅員百メートルの道路(現・平和大通り)や公園緑地計画が策定され、土地区画整理が進められました。復興計画の推進は財政難の中で、市民や関係者の努力と諸外国からの支援に支えられました。

第3節 広島平和記念都市建設法の制定

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1949年(昭和24年)「広島平和記念都市建設法」が制定され、広島は「平和記念都市」として再建されることが決まりました。この法律により、国からの特別補助や国有財産の無償譲渡が可能となり、復興が加速しました。この法律は、広島市恒久平和を象徴する都市として建設することを目的としています。

第4節 平和記念公園の建設

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1949年(昭和24年)には「広島復興都市計画」が「広島平和記念都市建設計画」に改定され、平和記念公園の建設が進められました。1952年(昭和27年)平和記念公園の着工が始まり、1954 年(昭和29年)には平和記念資料館が竣工しました。広島は平和の象徴として世界に発信される都市となりました。平和記念公園は、原爆の爆心地に近い中島地区に122,100平方メートルの公園として計画され、丹下健三らの設計に基づいて建設されました。

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原爆死没者慰霊碑(げんばくしぼつしゃいれいひ)も1952年(昭和27年)着工し、同年8月6日に除幕式が行われた。

第5節 被爆者の声

小田直子さんの証言

小田直子さんは、広島女学院の2年生だった13歳の時に被爆しました。彼女はその瞬間を次のように語っています。

『一瞬閃光がきらめいて、私は意識を失った。気がつくと、あたりは真暗で、私は地上に押し倒されていた。友の姿を見て驚いた。血まみれになっている人、火傷して皮膚が真黒になっている人、髪の毛は逆立ってぼうぼうになっていた。』

手島信行さんの証言

手島信行さんは、爆心地から1.7kmの比治山で被爆しました。彼はその瞬間を次のように語っています。

『私の姿は後ろは焼けて裸の状態です。後頭部が痛いので手を当てると髪の毛が焼けて有りません。背中もびりびりと激痛がする火傷をしているのです。』

第6節 現在の広島

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現在、広島は人口100万人を超える都市にまで発展し、平和の象徴として世界中から訪れる人々を迎えています。毎年8月6日には平和記念式典が開催され、原爆が投下された午前8時15分には黙祷(もくとう)が捧げられます。

広島の復興の歴史は、広島市民や弛まぬ努力希望と平和を追求する人々の力強さです。被爆者の経験談を通じて、その壮絶な過去と現在の平和への願いを世界に伝えていかなければならないでしょう。

今現在でも地域紛争で、何万人もの一般市民(国民)の犠牲者が、後を絶たない状況で、何が起こるか分からない世の中です。ちょっとした1人1人の行動・訴えが、大きな壁となって身を守ってくれるはずです。

最後の最後まで読んでもらい有難うございます。

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