日本の運命を変えた ポツダム宣言の真実

nariです🙋

ポツダム宣言は日本国にとって、未来の明暗を別ける最重要なポイントでした。ここでは、ポツダム宣言の流れを、出来る限り分かりやすく伝えて見たいと思います。

1つの単語の誤訳で被害者拡大、第二次世界大戦終結へ。

ポツダム宣言の背景

1945年(昭和20年)7月17日から8月2日にかけて、ドイツのポツダムアメリカ、イギリス、ソ連の首脳が集まり、戦後処理について話し合うポツダム会談が行われました。この会談の中で、日本に対する降伏条件が議論され、ポツダム宣言が作成されました。

ポツダム宣言受諾詔書の内容
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ポツダム宣言の内容

ポツダム宣言は13か条から成り、日本に対して以下のような条件を提示しました。

日本軍の無条件降伏

日本に対して無条件降伏を求めました。これは、戦争を完全に終わらすための重要な条件でした。

戦争犯罪者の処罰

戦争犯罪を犯した者は厳しく処罰されることが明記されました。

領土の制限

日本の主権は本州、北海道、九州、四国および連合国が決定する諸小島に限定されることが示されました。

軍事力の制限

日本の軍事力は完全に解体され、再軍備は許されないとされました。

基本的人権の尊重

日本において民主主義的な政府を樹立し、言論、宗教、思想の自由が確立され基本的人権を尊重することが求められました。

経済の再建

日本の経済再建を支援することが約束されましたが、戦争のための産業は制限されました。

平和的政府の樹立

日本国民の意思による平和的な政府が樹立されることになりました。

日本の対応

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鈴木貫太郎 内閣総理大臣在任時

1945年(昭和20年)7月26日、日本政府に対し、ポツダム宣言が発表されました。日本政府はこの宣言を速やかに翻訳し、対応を協議しました。昭和天皇外務大臣東郷茂徳に対し、「これで戦争をやめる見通しがついたわけだね。原則として受諾するほかはないだろう」と語りましたが、陸海軍の反発もあり、外務省は「まだ交渉の余地はある」「黙っているのが賢明」として、受諾ではなく「黙殺(もくさつ)」 の態度をとることにしました。鈴木貫太郎首相は記者会見で「政府としてはなんら重大な価値があるものとは考えない。ただ黙殺するだけである。われわれは戦争完遂(せんそうかんすい)に邁進(まんしん)するのみである」と述べ、7月27日、日本政府はポツダム宣言を「黙殺」することで、公式にコメントを控えるという意味で決定しました。

当時の海外の通信社の翻訳者たちは、「ignore(黙殺する)」を、「reject(拒絶する)」と誤訳してしまいました。

アメリカの対応と原爆投下

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アメリカは、ポツダム宣言に対する日本の反応を受け、戦争を早期に終結させるために、原爆投下を決定しました。1945年(昭和20年)8月6日に広島に最初の原子爆弾が投下され、続いて1945年(昭和20年)8月9日に長崎にも原子爆弾が投下されました。同日、ソ連も対日参戦を開始しました。

ポツダム宣言の受諾

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これにより多くの犠牲者が出ましたが、日本政府はポツダム宣言の受諾を決定しました。1945年(昭和20年)8月14日に正式に受諾し、1945年(昭和20年)9月2日に東京湾の戦艦ミズーリ号で降伏文書に調印することで第二次世界大戦終結しました。

最後まで観覧してもらい有難うございます。

ポツダム宣言の流れに対して、賛否の意見はあると思います。広島で生まれ育った わたし的には、早めの解決をしていれば被害者は増えなかったのではと思います。時代の違いですかね。

被害者の方々へご冥福をお祈りします。

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